2015.1.30配信
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入試で狙われそうな最近の時事ニュース(南極観測船しらせが昭和基地に接岸)
南極観測船「しらせ」が1月12日午後2時6分(日本時間午後8時6分)、昭和基地に接岸しました。しらせは昨年11月11日に東京を出発し、南極近辺の海氷が厚い多年氷帯を、船の重さで氷を砕いて進む航行を往路で3187回も繰り返して接岸に至ったそうです。
南極観測のニュースを見ると、昨年惜しまれながら亡くなった高倉健主演の映画『南極物語』を思い出す親御さんも多いのではないでしょうか。日本の南極観測の歴史を振り返ることは、そのまま日本の昭和史を見直すことにもなります。
そこでこんな問題が考えられます。
- 「日本での南極観測は、1957年から58年の『国際地球観測年』という世界的なプロジェクトに参加したことから始まります。当時の日本は戦後の復興を着実に遂げていましたが、1960年に所得倍増計画を策定した内閣総理大臣の名前を答えなさい」
- 「南極の氷と一般家庭の冷凍庫で作られる氷の違いを答えなさい」
今回は南極観測の中心的役割を担った観測船「宗谷」の歴史を振り返りながら、南極の氷について理科的にも分析したいと思います。
【宗谷の歴史】
所得倍増計画を策定したのは池田勇人(いけだはやと)です。漢字もしっかり覚えておきましょう。国際地球観測年にあたる1957年から58年は第二次世界大戦から12年後で、日本としては国際的な地位の向上を成すためにも、この世界的なプロジェクトに何としても参加したかったのです。ただ、敗戦国である日本に対する世界の風当たりは厳しく、どうにか参加は認められたものの、日本が割り当てられた南極観測地は前人未到の危険な地域でした。当時の日本には南極の氷を砕けるほどの砕氷能力を持った船は存在せず、そんな中で白羽の矢を立てられたのが、宗谷なのです。
南極観測船に選ばれた時の宗谷はすでに建造18年の老朽船で、当時は灯台補給船として活動していました。そんな年老いた船が、激務である南極観測船としての任務を果たし「奇跡の船」などと呼ばれるまでには、凄まじい歴史がありました。
宗谷の建造を発注したのは旧ロシアのソビエト連邦です。砕氷能力を持った貨物船として建造された宗谷でしたが、その後の世界情勢の変化によってソ連には引き渡されず、日本国内の貨物輸送に従事していました。高い砕氷能力と耐氷能力に加え、当時としては珍しい最新鋭の音響測探機を装備していたことで日本の海軍からも注目され、1939年に海軍に買い上げられました。戦地での宗谷は測探機をフルに活用して海図を作成する測量船という任務に加え、激戦地への物資の輸送の役割も担っていました。宗谷は船体が小さく、また石炭で動く船であったこともあって速度が低く、また砕氷船であったために本来は船の揺れを防止する「ビルジキール」というヒレ型の装備を、砕氷の邪魔になるために完全に撤去してしまったそうです。当然船体は大きく揺れ、最大で60度も左右に揺れることがあったそうです。足が遅く、船体が小さいために強力な武装もできず、また他の船とは比べられないほど激しく揺れるなど、ともすればすぐに敵の襲来を受けて沈んでしまいそうですが、この宗谷は不思議と戦火を逃れる運のようなものを持っていたそうです。何隻もの船団で活動していて、敵軍の銃弾を雨あられのように浴びるなか、他の船がすべて沈んだのに宗谷だけが無傷であった、ということがなぜか多くあったと言われています。もともと砕氷船のため船底が普通の船の倍近くの厚みであった頑丈な船ではありますが、船体に命中した魚雷がたまたま不発弾であったなど、不思議なほどの強運を持っていたため「奇跡の船」と呼ばれていました。
宗谷が日本で初めての南極観測船に任命されたのは、その砕氷能力だけでなく、戦火を生き抜いた強運も見込まれてのこととも言われています。
日本国民の熱い期待を背負って南極へ向かった宗谷ですが、その道は険しく南極大陸近くの氷となると宗谷の砕氷能力では砕くことができないこともあり、他国の砕氷船に助けられて何とか物資の運搬、越冬隊員の回収作業を進めていました。そんな中で他船の助けを借りても南極での滞在が不可能な悪天候におそわれたことがありました。やむなく樺太犬15匹を南極に置き去りにせざるを得ないことになり、その後の航行で奇跡的に生きていたタロとジロを救出したというのが、あの『南極物語』のメインストーリーです。
計6回もの南極観測を終えて、宗谷は任務を「ふじ」に譲り、その後を継いだのが初代の「しらせ」です。そして今回接岸に成功した2代目の「しらせ」へと歴史は引き継がれていったのです。
【南極の氷の特徴とは】
宗谷の行く先を阻んだ南極の氷ですが、私たちが普段利用している水道水からつくる氷と南極の氷とでは性質が異なります。水道水からつくる氷はもちろん水を凍らせたものですが、南極の氷は水ではなく雪が積もって固まってできたものなのです。雪と一緒に空気も閉じ込められているので、透明ではなく白っぽく見えます。閉じ込められた空気は何万年前のものであることもあり、当時の空気を分析する貴重な資料にもなるそうです。長い時間をかけて氷になったので、南極の氷は水道水を凍らせてできた氷とは比べようのないほどの高い密度で固まっているために溶けにくいのですが、溶けるときには閉じ込められていた空気が泡のように出てきてプチプチと小さな音をたてます。その音が何万年も前の空気が奏でるものであると思うと、神秘的な気持ちにもなります。
これからの日本の南極観測に注目して、ぜひニュースを見てみてください。
また、南極に関しては海城中学の平成22年度第1回の社会でペンギンをテーマにした出題の中でも扱われていますので、そちらも参考にしてください。
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