復習は親の責任
■ 消化不良になりがちな中間ゾーン
進学塾は「○○中学合格○○名!」とチラシで誇らしげに数字をうたいます。入試結果が翌年の入塾者数に大きく影響するからです。この時に偏差値が高い難関校からリストアップされます。注目度が高いから当然のことです。
しかし中学受験生全体からの割合で考えれば、いわゆる男女御三家クラスの合格者なんてほんのわずかです。本当に注目すべきは平均的な受験生の実績がどうであったかです。このあたりの情報公開となると、とたんに怪しくなってきます。
私の子どもたちの受験を思い起こしてみると、最上位のクラスにいた子どもは塾任せにしていても大丈夫でしたが、平均よりやや上くらいのクラスでは思うように結果が出ませんでした。そこで宿題の取り組み方にメリハリをつけたりさせました。塾にもよるとは思いますが傾向として次のようなことが言えると思います。トップレベルの受験生は塾の看板ですから力を入れて指導します。また下位クラスの場合は合格させないとマイナスイメージが広まる恐れがあるので、それなりにベテランの先生が指導したりします。
ところが中間層ではやる気のある子は引っ張りあげますが、おとなしかったりやる気がなかったりすると、どうも置いてきぼりになりがち。それでもどこかの中学に入るのがこの子ども達。一番生徒数も多く指導が行き届かないのがこのゾーンですね。
勉強の仕方について成績のゾーン別理解度について考えて見ます。トップレベルは解法のテクニックを教えてもその原理や理屈もすっと飲み込める、「一を聞いて十を知る」生徒の集まりなので問題ありません。成績下位の層では難しい問題には手をつけず基本問題の練習に取り組ませます。そのために消化不良は起こりにくいのです。中間層には解法のテクニックと同時にその意味するところも説明はするでしょうが、教材のボリューム・進度・時間の関係からどうしても積み残しが生じ、消化不良で先へ進みがちになります。「ここは家で復習して置くように!」と。
■ 復習は親の責任
違った角度から話を進めます。公教育で学力が低下したのはこの復習不足が一つの要因ではないかと私は考えています。わかりやすいので再度算数を例にとります。
私が小学生の頃に算数の教科書は『説明→例題→基本問題→練習問題→応用問題→まとめ』というように数多くの問題練習が組み込まれていました。全員が全てをやれとは言われませんでしたが、練習問題くらいまでは授業や宿題でやったものです。例題の解説を読んで基本問題は解けますが、そこで終わりにしてしまうとすぐに忘れます。あなたが小学生だった頃を思い返してもらえばお分かりでしょうが、子どもと言うのは覚えるのも早いが忘れるのも早いのです。
もう一つ別の例を挙げましょう。私の子どもは小さい頃からピアノを習っています。今現在で全員がモーツァルトのソナタやバッハのイタリア協奏曲レベルの曲を弾くことができます。私自身も小学生の頃にピアノを習いましたが、そんな難しい曲は弾けませんでした。その違いはなんでしょうか。私の受けたレッスンは、課題を1曲仕上げたら次の曲へ取り掛かります。終えた曲はもう弾きません。すると常にレッスン中の曲しか弾けないのです。レッスン中の曲が仕上がっていなければ、まともに弾ける曲が1曲もないありさまです。今でもこれに近いピアノレッスンを受けているお子さんは多いのではないでしょうか。
子どもたちはスズキメソードという方法で、課題曲が弾けたら次の曲をやりながら前の曲も練習し、先生の前で披露するという方法をとりました。上の子どもたちは教本の5巻くらいまでは1週間の間に全ての曲を復習して、それに加えソナタやコンチェルトの大曲を練習していました。その結果、いまでもバッハ、モーツァルト、ベートーベンなどの曲を弾ける状態を保っているのです。同じ教室のお子さんでも、他の習い事や塾が忙しく十分な復習ができない場合があります。すると進度も遅く、前の曲は弾けないことになってしまいます。このように子どもの学習やお稽古事は復習が大切なのです。けれども子どもが自分から復習をすることはまれで、大人が働きかけてやる必要があります。
神奈川県の片瀬でユニークな個人塾を開いている見尾美保子先生が著書に書いているように、「子どもは忘れるのが当たり前」「『反復』は母親の責任」というわけです。学校の勉強から復習する機会が減ってしまい、塾でも次の回の予習に忙しく復習が不足しがちになる子どもに、復習するよう促すのは親の役目ではないでしょうか。
お子さんにとって教材の進度が速いと感じたらその旨塾に申し出たり、宿題の量を減らしてもらう代わりにきっちり復習するなど、お子さんを消化不良の状態に陥らせないように注意してやってください。